安静12-15
9月8日
一生懸命仕事して終わったら、整体。
すごく効くうまいお姉様でとても良かった。
無口すぎて隣から聞こえる声が鬱陶しかった。
が、元気になり過ぎて夜は眠れなかった。
9月9日
からだがめっちゃ重くて効率があがらなかった。
こういう時はお酒入れれば意外と回復するんだけど、今お酒やめてるので……
仕事の入電もありながらも、結局徹夜での作業。
9月10日
めっちゃバタバタ大きな仕事が無事終わる。
終わったら死んだように眠りたかったんだけど、なかなか寝付けなかった。
頭と身体はだる重なんだけど目はギンギン。
ちょうど中秋の名月だったので、オオカミパワーだったのだろうか。無性に吠えたくなるし、走り出したくなる。でも身体はだる重。わがままボディめ。
深夜23時に路肩に三脚とデジカメを取り出し写真を撮る。沢山のキラキラした街や道と黒い海……というふうにもみえなくはないのに、実際あるのは砂漠らしいので、宇宙って不思議。
月に行ってみたいけど、ちょっと遠いよなぁ……。
9月11日
世間では日曜日だけど仕事。
温泉行きたい。
漫画を読む。「19番目のカルテ。」
絵に見覚えがあると思ったら「しょせん他人事ですから」の人だった。そう考えると、話のテンポも似てるかもしれない。「アンサングシンデレラ」と同じようなタイトルをしてるものだから……。
読んでて、自分はなんか重篤じゃないか?と勝手に心配してしまう。
疲れが溜まっていたのか、夕食後泥のように眠る。まぁ明日の午前は仕事休んでも大丈夫だからいっか。体休めよう。
明日の午後は、他所のグループとの合同の仕事だ。久々の。
9月8日の体温測定
計測なし
9月9日
朝9時前 36.8( 0.1)
9月10日
計測なし
9月11日
朝 36.6(△0.2)
夕 36.8(増減なし)
(0016)
安静11ごっくん
9月7日
医者に安静ーと言われて11日たった。
安静という言葉をうまく利用しながら、多分全然安静にしていないような感じがする。
多少激しいことを控えている程度で。
でも、ちゃんと安静にしてるからか、体重が少し増えてしまった……。
今日はなんかイマイチハマらない日であった。
まぁそんな日もあるさ。
今日一日の諸々をごっくんと飲み込んで、明日からまた頑張りましょう。
暦では明日は甲子(かっし、きのえね)らしい。
甲乙ーの一番最初の甲に、十二支のトップバッターであるネズミが掛け合わさられた、新しい事をするにはうってつけの日。
いいスタートダッシュを……
いうて、この投稿は9日の朝に投稿されるんだけどね笑
だんだんこのブログも何を書けばいいのかわかんなくなってきた。
最近やたらと広告で出てくる某バイクがとても可愛くていいなぁ。と思って嗅ぎ回っていたところ、私と同じ年式の同じ色のバイクに乗ってYouTubeされてるかたが、やっぱり買い増しで購入されていて、ぐぐぐ……となっている。
でも、うちは買い増しは無理だなぁ。
うちの子手放したくないし。ものはほしいし。
維持費もあるし、先立つものも欲しい。
何かを手放して、そして手に入れる。
そんな繰り返しかな。
週末競馬で百万稼ぐかー(無理
9月7日の体温測定
朝9時前 36.7( 0.2)
夕5時前 37.3( --.-)
体温も体重も盛り上がってまいりましたー!!!
(0015)
安静9 いつになったらトンネル抜けるのかな?
9月5日
今日の散歩は横浜市。
なにもしてないのになんだかとても疲れている。
「週休三日宣言」を読み、「思い邪なし」を続けて読んでいる。
生きるとは、働くとは……成長とは、大人とは……ということを考えている。
5日の体温
朝9時 36.8(+0.3)
(0013)
安静8 散歩の時は何も考えてない
安静8:
9月4日
一般の暦と休日が一致するタイプではないので、普通に仕事。
槇原敬之のどんなときもではないけれど
「僕の背中は自分が思うより正直」なんだな……ということをよく思う。仕事自体は普通にこなしても、体温・質感など自分の心理状況がそのまま滲み出てしまっているような気がする。
そういえば、今日電車で迷いとんぼが窓際にいた。君はどこに行くのかな。
よく散歩をしている時には何を考えているのか?と問われることがある。この質問を受けると、私は面食らってしまう。
実のところ何も考えていない。
確かに景色を見たり、音楽を聴いたり、誰かと一緒に話しながら歩調を合わせるなかで思うことはあるだろうけれど、特に何かを考えて、ということはないかな。
万物って全てがさりげないところでまたは離れたところで繋がったいるものなので、街にある何をみて気づいたり感じたり思い出したり、勝手に頭の中で何かがつながることはある。
だから「散歩をしてる人は何を考えてるんだろう?」ということに特定の答えは多分ない。
それぞれの散歩の中で、色々な思いに出逢う。
そういう意味では自分を鳥の目でみようとすることも可能かもしれない。
散歩のときに何を考えているかの答えを求める人は、その答えと自分なりに出逢うために、でも頭をもみほぐしながら歩いてみるといいんじゃないかな。
あ、その際には楽しもうとすることが大事だから。
どうせ同じ時間使うなら楽しく歩こう。
今日のおひるごはん
沖縄物産センターのソーキそば。
朝ドラの舞台ということもありとても混んでいましたが、大変美味でした。
ごちそうさまでした!
体温測定
9月4日朝 8時すぎ 36.5( 0.2)
すこぶる健康!
だけど、なんかイマイチ乗らないそんな感じ。
一日中眠い。(0012)
安静7チンアナゴ人生
9月3日
じゆう【自由】
他から制限や束縛を受けず、自分の意思・感情に従って行動する(できる)こと。また、その様子。
〔民主主義社会では、社会秩序を乱さぬ限り、その人の主体的な意思・判断に基づく言動の認められる権利のことを指す〕
(新明解国語辞典第4版より)
「皆さんにとって自由ってなんですか?」
高校時代、政治経済の授業の中で投げかけられた質問に、私はこの辞書の内容の前段部分を答えたのだけども、先生が「新しい解釈ですね」と一笑したことを覚えている。
他の人たちは括弧の段にあるような「責任や拘束を伴うもの」とかそういう回答をしていた。
考えたら政治経済の授業なのでそっちが模範解答なのだけど、根本的な「自由」って「フリー」ってそうじゃないだろう、と今でも思う。
まぁそんな学校が嫌いだったので、私は反体制側の勝手な人格破綻者たちとつるんでいた可哀想な人間だった。
ちなみに新潮現代国語辞典第二版のまとめかたは
ジユウ【自由】
①他から拘束を受けないこと。心のおもむくまま。好きなようにすること。自在。フリー。
②支配や拘束を受けず、各自の可能性を発揮できる、また、発揮すること。リベラル、フリー。
③(やや悪い意味で)好き勝手。ほしいまま。
④〔法〕1憲法で自由権と同じ。2ある行為が、本来、又は例外として制限や禁止を受けず、許可や許諾を要しないこと。
(新潮現代国語辞典第二版より)
昔の独特表現の新明解よりも明快に感じるのは私だけだろうか(笑)
まぁ「自由の定義」って何?みたいなメンドクサイ話とともに、「自由が今までどのように語られてきたか」など調べ始めると膨大な時間がかかるので、ここではしない。
兎に角今日は帰り道恒例の遠回り散歩で普段通らない川の橋を渡りながら、「自由」について少し頭を巡らせた。
というより、「自由」のネガティブな部分について頭を巡らせた。
例えば、「何やってもいいですよ」といわれたら、あなたは何をやる?
あれもできる。これもできる。
おめでとう!あなたの目の前には無限な可能性が広がっている。
って思うじゃん?
でも、実際どうよ。
みんな経験してることだけど、体は一つしかないし、時間は有限。お金もない。
体の病気や心の不調・障害、色々な環境的事情からできることをすべて選ぶこともできない。
あれもしたい。
これもしたい。
もっとしたい。
もっともっとしたい。
僕には夢がある?????
それが本当の夢かどうかは知らないけれど、すべてができないなら「選」ばなければいけない。
結局夢を見ているから儚くて、探すから見つからなくて、欲しがるから手に入らなくて途方に暮れる。
そうかんがえると結局自由なんてものはこの世に存在しないんじゃないか。
自由っぽい何かのなかから、可能な人は何かを選び取る、そうじゃない人は選び取らされながら何かを捨てて、それぞれの関係の中で生きているのが社会。
「選び取る力」とそのための「体力」と「知力」がないと、自分の手で何もつかみ取ることができない。
必ずしも誰かがお善立てをしてくれるわけではない。仮によい縁があってお膳立てがあったとしても、その上で自分がどうするか、お膳立てに乗って自由に舞う自分をいかに創っていくのか?というのは自分自身の力量と気力次第になる。
だから知識と経験、その為の努力は本当に必要だな、と思う。
どちらかに偏る、ではなく。どちらも大事。
遅くたっていい。不器用だっていい。
私も遅いし、不器用だ。
気まぐれなわりに色々考えすぎてしまい、
幸福になって不幸になって慌ただしい胸の内が踊ることはしょっちゅうだ。
すすんだり止まったり、行ったり来たりしながら、壁にぶつかりながら
それぞれ、限られた枠の中で最大限舞うように、がんばっていこう。
そのなかで自然と折り合いの点がわかっていく。
私はまぁ自分の根を意識しながらチンアナゴのように生きている。
チンアナゴって何が楽しく生きてるのかな?といつも不思議な気持ちになる謎の動物であるけれど。
***
ようやく「なんだか疲れる」を読了した。
実は、人に見れる形でこの安静日誌を書いてみようと思ったきっかけはこの本の中に全文収録されている「妖精日誌」であった。
簡単に説明すると、ほぼ無症状で陽性反応が出てしまった人の日記であるが、同時に書き手の人生観や所感がつらつら述べられていた。
病気の日誌になると「ボディサイレント」のように本格的に自分の内面を顧みながらのフィールドノーツのように書くものであると思いがちだけども、公開できないことも多いので、適当に書く。正直に書く。それでいいんだね、自由なんだから。ただ昔とは違って私の軽くて薄い考えをだらだら書くのは好まない。その意味で今日の所感は特別。
いずれにせよフィールドノーツの取り方をもう一度確認しよう。
まぁ、とはいえここに書く内容はあくまで自分の話。別に誰かに応用できたり、ライフハックの手助けになるわけでもないし、あーこの人なんだかんだのんびりとふわふわとチンアナゴみたいにいきてんなぁ。なんだこいつ何考えてんだ。意味分かんねぇ。なんて思ってながめてくれればいいと思う。
人の評価や理解を求めているわけではないつもりを気取りたいのだけど、片道所感というのも少しさみしいな……なんていうことは思う。まぁそれは別の話。
同情を欲したら、その時にすべてを喪う。
体温測定
9/3 朝 8時前 36.3(▲0.6)
すこぶる健康!(0011)
安静6:特になにもありません
9月2日
医者は安静に……などといいうが、同時に体の健康のためには20分は連続で止まらず歩く時間をとった方がいいと謎のことをいう。
なにやら歩くくらいは運動に入らないらしい。
7月中みたいにプールでガンガン泳ぐ生活に早く戻りたい。。。
ということで、最近のルーティンに「散歩」というものが加わった。
まぁ、前から不定期に入れていたものを定期化したものではあるけれど。体重もここ3日で誤差の範囲であれ増加傾向が見られるので、いろいろな意味で要注意だとおもっている。
今日は8月13日に疲労運転の中ぶつけてしまった軽自動車が帰ってきた。疲労運転のトラウマというか、まだ本調子ではないけれど嬉しさが抑えきれず、無難というか、まぁ比較的に安全だろうとアクアラインを走ってきた。
いわゆる千葉フォオル二アといわれている海岸線のヤシの木の道を通り、袖ケ浦海浜公園へ。
公園からヤシの木の道を一周歩いてきた。
最後に上った展望台で感じる風がとても心地よかった。また行きたい。
ところどころ怪しさを感じたけれど、いい車の運転のリハビリになったかな、、、と思う。
またこの子と一緒にいろいろなところに行きたい。
本日の体温
朝 9時前 36.9
少し高めですが、健康です!(0010)