片道所感

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道はどこかで繋がっている

国道者

国道者

  • 作者:佐藤 健太郎
  • 発売日: 2015/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 「道はどこかで繋がっているから大丈夫、慌てないで」

 

2013年3月、石巻港のICを目指しているときに入り口を間違えて側道を走ってしまった若葉マークの私に、先輩が言葉をかけてくれた。その言葉は今でも被災地の夕方の寂しい景色と共にいつも脳裏に浮かぶ。

 昔それぞれの営みがあったであろう広大な空き地、そこに培われていたはずの歴史についても、自宅周辺にある大きな国道の先にある景色についも、私は知っているようで何も知らない。2017年、最後に足を踏み入れた石巻では復興道路が所々できていて、帰りに下道で福島の方へ進むと橋が落ちているところ、冠水しているところが多数あり、同じ被災地の海岸線沿いの道でも場所が変われば大きく景色は異なる。あのときとおった道はいまどうなっているのだろうか…?社台ファームを越えて出た少し先の通りには、私が毎日使う国道から同じ愛称で繋がって延びる別の路線の番号が振られていた。多分私が住む街から、道は延びているはずなのに、その先の景色については何も判らない。

 

 先日、丸善で本を探している時に偶然目に入った「国道者」。発行は2015年、それ以前に新潮社の雑誌に纏められていた記事を単行本化したもの。興味を引かれて購入することにした。

 道路の引かれ方や形にある「背景」や「意図」について思いを巡らせる道路愛好家による道路謎解きの旅。ええ!?こんな国道もあるの!?とか、小田厚や52号と中部横断、戸塚の国一など私が何気なく使う道の背景を読みながら、実は何気なく使っている道って奥深いなぁ!?と驚きの連続であった。 

TwitterのTLにもその国道を極めようとする中で「極道」と化している方も散見されるので、多分一つのジャンルなのであろうし、沼にはまる人は本当にはまるのであろう。

 

 道は必ずどこかで繋がっている。

 

そして多くの人の想いを抱えて変わり続け、 使われなくなった道は、記録も少なく消えていく。

 

 ある意味道は一つの社会学…というか、考現学なのかもしれません。

普段なにげなく通る道も、ただかっ飛ばしたりスマホをいじるのでは無く、何気ないものに目を向けてみたら、きっと普段とは違った景色が見える。そう思える本でした。

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